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「脳と社会:サイエンスリテラシー」

2006年4月4日
東北大学特任教授
瀬名秀明

瀬名先生に、「脳と社会:サイエンスリテラシー」というタイトルで御講演して頂きました。

「脳を活かす」とは、一体「誰が」「何のために」活かすということなのでしょうか。脳を研究する動機として、研究成果の軍事、日常生活、及び娯楽への応用が考えられます。しかしながら、脳神経倫理の立場から考えれば、「脳を活かす」は「人間の信じる能力を活かす」ということではないかということをご提案されました。

評論家・小林秀雄氏は講演で、信ずることと知ることが、全く異なるものであるということを説明されました。人間は、自らが信ずることに対しては、責任を取らなくてはならないとおっしゃっています。瀬名先生は、この「信じること」が、「脳について脳神経倫理的に社会の中でリテラシーで話すこと」に近いのではないかとおっしゃられました。


現在では、私たちが「脳」に操られていると考えられていますが、10年前は、「遺伝子」とされていました。瀬名先生は、10年後には脳よりもよりマクロな「システム」が台頭してくるのではないかと予想されています。一般の人たちは、脳や遺伝子といった特定のものに興味を持っているわけではなく、私たちが本当に何に操られているのかについて、明確な答えのみを欲していると考えられます。このような願望に対して、脳のリテラシーは明確な答えを与えることができるのでしょうか。科学を知れば知るほど、その本質はグレーゾーンにあるとわかってくるため、クリアな言説を科学者に求めることは難しいと思われます。よって、グレーゾーンの面白さを一般の人達に伝えるために、言論の量を増やし、淘汰させていくしかないのではないかとおっしゃいました。
(方法論:科学の場合、科学的結果を導き出すための「手段」)
一般の人たちは、難しいと興味を示さない傾向にあるため、わかりやすく白黒をはっきりさせてほしいと願っています。しかしながら、頼れる結果を求める一般の人たちと、頼れる方法論を求める科学者とでは、はっきりさせたい場所が異なることが問題となります。

それでは、「信じること」とは一体どのようなことなのでしょうか。ニコラス・ハンフリーは、信じることについて子供に何を語ればよいのかという問いに対して、科学の方法論を信じればよいといっています。また、リチャード・ドーキンスは、自分の娘に対して、誰かがあることを真実と告げたときには、証拠があるのかと科学的に自分の頭で考えてみるように諭しています。
これらの信じることの解釈に対して、「信ずる」の3つの意味のうち(スライド参照)、多くの科学者は2番目を選びます。しかし、瀬名先生は、実際には「科学」を信ずるのではなく、「科学の方法論」を信じるべきであると考えています。
最後に瀬名先生は、医療現場の一回性は、科学になりえるのかについても議論されました。再現性のない一回性の医療現場において、科学のリテラシーを構築できるのでしょうか。また、このような問題に対して、「脳を活かす」がどのようにアプローチできるだろうかということに対しても議論されたいとおっしゃられました。

質疑応答

1「クオリアに対してどのようにおもわれますか?」

「記憶のタグのようなものであると考えています。例えるなら、DVD映画の頭だし機能のようなもので、 引き出したい情報を引き出すように、クオリアは機能しているのではないかとおもっています。」

 

Last update: 2006.05.29

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